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【コメント】
わたくし松村真司は、医師という仕事を「病気を治療するだけでなく、人々の健康を、そして健康的な暮らしや生き方をサポートする仕事。」そんなふうにとらえています。 日頃、私がどんな思いで患者さんと向き合っているかを知っていただきたいと思いました。
【過去のコラムは、こちら】
●第1回:「松村医院の医療方針
     (プライマリ・ケア)について」

●第2回:「往診・訪問診療について」
●第3回:「予防接種について」
●第4回:「研修について」
●第5回:「コミュニケーションについて」
●第6回:「クオリティ・オブ・ライフ」
●第7回:「松村医院の建物改築について」
●第8回:「松村医院の建物改築について
      〜第2弾 新生・松村医院へ」

●第9回:「(松村医院小史)第一部
      松村医院誕生から現在まで」

●第10回:「(松村医院小史)第二部
      松村医院誕生から現在まで」

●第11回:「上野毛さんぽ」
●第12回:「院長・松村真司の著書のご案内」
●第13回:「院長・松村真司のおすすめ本
     《医学専門書編》」

●第14回:「院長・松村真司のおすすめ本
     《一般書編》」

      

第15回:「医療の今昔〜医療現場はどう変わったか?《ハード編》」


私が父から松村医院を継いだのが2001年のこと。かれこれもう少しで15年になります。今振り返ると、大学病院のような大きな病院では、その数年前から、また小さな診療所等では丁度そのころから急激に医療の現場が変わったことを記憶しています。今回はそんな医療の今昔を振り返ってみたいと思います。





まずは医療とは直接関係がありませんが、医療をサポートしてくれたものを二つご紹介したいと思います。

最初は、マッキントッシュのノートパソコンPowerBook145B。実は私が初めて購入したパソコンで、ハイパーカードという付属のソフトウェアを使って患者さんのリストを作った記憶があります。

当時はマッキントッシュ・クラシックという、小さなデスクトップのパソコンをリュックで持ち歩いている先輩たちもいた時代ですから、このノートパソコンを手に入れたときは凄く軽いと思ったのですが、、。 (抱えてみて)「こりゃ重い!」(爆笑) スマートフォンと比べてみると時代を感じますね。今の小さいスマホの方が遥かに性能が高いですからね。ただ、この PowerBookですごくいっぱい仕事をした記憶があります。

当時は、私が研修医として勤務していた病院でも端末はいくつかの病棟に一台だけという時代でした。そこに一太郎やロータス1・2・3が入っていて、文書を書いたり、紹介状を書いたり、学会発表の準備をしたりしました。いまから20年以上前の1993年ぐらいの頃でした。

このパソコンを使う前は、大学ノートやメモ帳にデータを写しとって、それをみながら原稿用紙を使って原稿をまとめたり、各病棟の端末や大きなワードプロセッサーを使いながら原稿を書いてたので、これで気兼ね無くナースステーションでカルテを見ながら原稿を書けるという、当時としてはなんとも画期的な出来事でしたね。

当時はプリントアウトにも凄く時間がかかってましたし、高価なインクのためプリントもできるだけ控えめにしなければいけないという雰囲気がありましたね。バッテリーは2時間ほどしかもたないし、保存するのも今は亡きフロッピー・ディスクでした。でもとにかく持ち歩けるパソコンと、いうのが画期的でした。

その次に買ったパソコンはPerformaというやはりマッキントッシュのデスクトップ型のパソコンでしたが、それが自宅からインターネットに繋げたはじめてのパソコンでしたね。当時は、日本では慶応大学の実験サイトや、海外でもホワイトハウスのサイトなどごくわずかしかホームページがなかった時代ですが、モデムを用いて電話回線でつなげました。当時は通信状態もあまり良く無い状況で、何時間もかけてようやく見れたのが、クリントン大統領の飼っている猫(笑)など、まあそれでもニフティー・サーブなどのパソコン通信でよく情報交換をしていました。

その後、アメリカに留学することになったのですが、そのころアメリカはもうwindowsが主流になっている、というので一生懸命Windows 3.1の操作方法を覚えていったのですが、いざカリフォルニアの大学に行ってみると、マッキントッシュのご当地ということでマック・ユーザーが多かったですね。(笑)

日本に戻ったら、すっかりwindowsの時代になっていました。スティーブ・ジョブズがiMacやiPhoneで復活するまでは。コンピューターの温故知新でした。

もう一点、ミノルタ製の防水ポケットカメラです。いまのようなデジタルカメラではなく、フィルムを使ったレガシーなカメラです。フィルムさえ入れれば、たぶん今でも使えると思いますよ。今でもあちこちで使われていると聞きます。時代は変わっても変わらず使い続けられているものもあるんですね。

ピントが5段階ぐらいしか無くて、ピントに合わせて人が動くという何とも原始的なカメラでした。医療にはあまり関係ないものばかりですが、防水なので学会に持って行って屋外などでの記録用に使っていました。
ここに紹介させていただいた2点は、医療用ではないため、今でもお持ちの方や懐かしいと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。では、本題の医療関係のものをいくつか紹介していきたいと思います。





これは、今でも使っているものだと思いますが、おしっこの比重を見るものです。尿にたんぱくなどが出たり、脱水症状で尿が濃くなると比重が重くなるので、それをはかるものです。病院に入院するとよく蓄尿と言って、患者さんがおしっこを貯めるんですが、レントゲンなどを撮らなくても、この比重が濃くなっていると、脱水症状になっていたり、元気そうに見えるんだけど実は急に具合が悪くなっているのが簡単に分るものです。おしっこの量って実はお医者さんにとって凄く大事なもので、おしっこの量が少なくなってくるというのは非常に危険な状態なんですね、それがこれを使うことでそんなに難しい検査をしなくてもすぐに患者さんの状態がわかるというものです。

昔は松村医院でも血沈棒があって、この棒に血液を入れて検査をよくしていました。血液って固まってくるんですが、血液の中には白血球や赤血球、血小板という血液の成分と、水分や蛋白などが含まれているのですが、時間がたつとドレッシングのようにこれらが分離します。体の中にバイ菌が入ったりすると、バイ菌をやっつけるための抗体ができるんですが、抗体はたんぱく質なので、たんぱく質がいっぱい入っていると、この血液成分が沈むのがダーッと速くなるんです。この血沈というのは、それを利用してからだの中に炎症があるかどうかを調べるためのものです。今は血液検査で白血球の数なども自動的に計算してくれるのですが、昔はこういうので炎症反応を判定していました。これは検査センターに出さなくても、その場で10分ぐらいで判定できるのでいまでも結構使えるものです。血液の検査では、結核とかある種の病気だと他ではわからないものもたまにこれが特別な指標になるものもあるので、今でもこのデータは有用だと思います。今は検査センターでやってもらっているのですが、昔は松村医院でも使っていました。難点は、血液なので片付けが大変でした。今考えると感染症とかの危惧もありましたね。

尿や血液、ときには髄液や唾液などをプレパラートで垂らして顕微鏡でみるというのもやりましたね。プレパラートは、いまでもマラリアなどの病気や感染症などは顕微鏡で見るとすぐにわかるので時々使います。

逆に使わなくなったものといえば、水銀に関連するものでしょうか。当院では血圧計もいまは水銀のものが無くなりましたね。これが松村医院で今使っている血圧計なんですが、このメーターの部分は水銀ではありません。原理は水銀と同じなんですが、デジタルで液晶が上がり下がりするタイプの血圧計です。研修医の先生や若い先生は、全く聴診器を使わない、デジタルタイプの自動血圧計が好きな人も多いようですが、私はあまり好きではありません。

理由は、デジタルで出てくる数値を完全に信用しきれていないからなんです。聴診器をあてて音を聞かなくて数字だけがボンと出てくるので、脈が不整脈だったり、条件が悪かったりすると雑音が入ったりして、それを拾って自動で数字で返してくるので、時には「そんなに高くはないだろう、とか、そんなに低いことは状態から考え難い」等の現象がときどきあるからです。ただ、2013年に水銀の輸出入が禁止になったこともあって、このタイプの血圧計は一気に見なくなりましたね。

今回、資料を探すため、倉庫を整理していたら、こんな大物も出てきました。(笑)

分銅式の昔の体重計で、学校での体重測定というとこの体重計で測られた方も多いと思います。今となってみると、とても昭和的で、レトロなものですね。

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